かざりさん(@kazarigiri)のブログを読んで『感情的にならないと気づいてもらえなかった』の部分にとても共感というか、納得というかそんな思いをツイートしました。
そのあと、つらつらとツイートを続けたわけですが、言っても気づかないのか?ドアをたたき続けるパートナーの意見をまさに馬耳東風で聞く耳を持たないのか?
解決方法は『第三者の目』です。
ツイートしてた時とはちょっと違った結論になりました。
あの時は感情をぶつけられたことで目が覚めた気がしていましたが、本当は違っていた。
完全に個人の意見ではありますが、ちょっと自らを振り返ってみようと思います。
なぜ、聞かないのか?
一応は聞いているつもりでした。
でも、「きっとストレスが溜まっているので、とりあえず聞いておこう」みたいな感じで聞いてるようで聞いていない。
ストレスを発散させるために、聞いた風を装って、聞き流しているわけです。
そして、ある程度のタイミングで謝ったり、誤魔化したりして終了。
その話はそこで完結して、次からまた同じことの繰り返しです。
まさに暖簾に腕押し。
パートナーの機嫌を取る。というのがメインの対応で、ちょっとしたいつもの愚痴だろう。くらいの認識しかないのです。
あと、女性は愚痴をいいさえすれば治まる的な話を真に受けてたりします。
そこに至るまでの軌跡
自分もなぜこのような不実な対応に陥ってしまったのか?思い起こしてみると自分のパートナーに対する不満にぶつかります。
相手に不満があるように、自分にも相手に対して不満がいろいろありました。
しかし、それを表に出していなかった。
いや、態度には出していたけど、何が不満だったのかを語っていなかっただけに思います。いやー、たちが悪い。
そうなってしまうと、もう駄目ですね。
自分は我慢をしているのにとか、自分は頑張っているとか、自分が、自分が……という意識に支配されてしまい、こんなに自分は相手に対して配慮しているのに、なんでいつもぐちぐち言われなければならないのか?
という被害者根性に支配されてしまいます。
この状態になると、相手が何か言っていても完全に耳には入りません。
なんせ自分は被害者で、相手の愚痴やら指摘に耐えてなんとか婚姻生活を続けていこうと頑張っている側になるのですから。
実際は全く逆なんですけど、そこには気づきません。なんせ被害者なんで。
そして最終的な宣告「離婚」
うちの妻はそれでもよく耐えて、根気強く対処してくれていたと思います。
しかし、ついにその言葉を聞く時が来ます。
「離婚」
なかなか衝撃があります。
「え?なんで?」多分最初の気持ちはそんな感じだったのではないかと思います。よく覚えていないです。
なんせ、自分は耐えている側です。
とはいえ、このころはいろいろと深刻な状況だったりして、ある程度予想していたような、そうでもないようなという感じでした。
ところが、そこで目が覚めるわけでもありません。
残念でなりませんね…
その時はかなりの衝撃もあり、「これはヤバい!」との焦りから謝り倒したり、今までの行いを涙したりと取り繕い何とかなかったことにします。
そして繰り返される馬耳東風
一旦は自分が悪かったと納得して反省した風を装いますが、相手が何を考え思っているのかに対して、本質的にはやっぱりわかっていません。
『自分の目を通した相手の気持ち』なのです。
なので、都合のいい自分なりの解釈であったり、こうだろうなという予測に基づいて行動をしたりします。
そして、妻もわかってくれたと思った夫はやはりわかっていないのではないか?なんだこれは?
となり、深刻な話し合いが繰り返されます。
どこで気が付いたのか?
なんだかんだと繰り返す中、たまたま共通の知人の前で夫婦喧嘩的な展開になったことがありました。
自分はいつものように妻の態度は一方的で、自分に対して攻撃的だと感じていました。
その後、席を妻は外し、知人に照れ隠しのような感じで、「いやー困っちゃうよね、いつもあんな感じで怒られちゃって」みたいな感じで話しかけたと思います。
その時の知人の言葉が気づきでした。
「とても悲しそうで、傷ついている感じでしたよ。」
言葉は多分違いますが、おおよそそんな意味合いのことを言われました。
え?
自分の思っていた印象とは全く違うことを言われ困惑したのを覚えています。
これはいったいどうしたことだ?
全然違うじゃないか。
その後、何をどう話していたのかよく覚えていないですが、かなりの衝撃でした。自分は妻のいったい何を見ていたのか?
まったく気持ちを受け入れていなかったどころか、自分の方が妻を敵のように感じていたのではないか?
ぐるぐると思考が巡りいったいどうしたものかわからなくなったように思います。
理想と現実
自分自身、男尊女卑的な考え方もないし、どちらかといえば女性に優しいと思っていました。
でも実際は相手の気持ちに対して寄り添うこともせず、自分の中で作り上げた妻とかってに対話していたのかもしてません。とんだモラハラ野郎なわけです。
そして、それも今改心できたのかといえば微妙なところです。
いろいろと頭で考え理想に近い対応を心がけますが、いまだに被害者意識は頭をもたげるし、自分の方が…的な気分に陥ることも多々あります。
でも、こうありたかった自分と、実際の自分とのギャップを知ることが出来てよかったと思っています。
この期に及んで言い訳
結婚して、さらに子供が生まれて育っていく。
その間、自分と妻の幸せを思ってきていたのは事実です。
自分が被害者意識を持ってしまった時でも、妻に対して愛が無くなっていたわけではありません。
どこで間違ってしまったのか?
それは簡単なことです。お互いの気持ちをきちんと共有できなくなったところです。妻はよくいろいろと話してくれていたし、自分も話していたつもりでした。
でも、肝心な真面目な話や相手の気持ちに関する言葉に、いつしか正面から受け止められなくなり、自分の不満などの負の感情も伝えられなくなっていました。
素直に言葉通り受け止めればよかっただけなのに、自分というフィルターを通すことで、相手の気持ちもゆがめてしまい、自分の考えに沿った都合のいい解釈をするようになってしまいました。
所謂、ボタンの掛け違いといったやつなのかもしれません。
最初はきっと小さなずれだったのだと思います。しかし、そのずれは時間が経過するほどに遠く離れて行ってしまいます。
早めに素直に受け止めることが出来たら。
自分の不満もきちんと伝えることが出来たら。
きっと、今とは違う今があったことでしょう。
かりに今後うまくいくとしても事実は変わらないし、別々の道を行くにしてもこちらが異を唱えられることではないのです。
後悔先に立たず。まさにそれだなといまさら思います。
「他人の気持ちはわからない」これに気が付いたのは高校生の頃でした。せっかく気が付いたのに、それに対する対処法まで考えられなかったのは残念でしかない。
対処法は「素直に相手の言葉を受け入れる」でした。
いたって簡単でいて、とても難しい。
結論としては第三者の意見
くどくど、愚痴っぽいことも書きましたが、話を聞かない夫に対してどうすれば話を聞くようになるのか?問題の個人的解決方法は、『第三者の意見を聞いてもらう』です。
これは、単に第三者に話を仲介してもらうというのではなく、話し合いの場に夫が信頼する第三者を入れて話をするという意味です。
自分の考えに固執してしまって聞く耳を持たなくなっている人に、当事者だけで対処すると、「またいつものがはじまった」的にとらえられ、聞いてもらえません。共通の知人に諭してもらってもあまり結果は変わらないと思います。
しかし、知人がその場にいる話し合いで、特に感情があらわになっている場合、自分の認識と、第三者の認識に大きなずれがあると、「え?そんなはずはない」といったん止まることが出来ます。
そこで、妻側の意見を夫に伝えることが出来れば、自分の認識がいかに独りよがりだったのか気づくかもしれません。
正直、第三者を交えた話し合いとか、かなりハードル高いですよね。
なのであまりお勧めできないし、それでモラハラ夫が改心するかといえば、そうでもないのかもしれません。
なので、こういった場合もあると、他人の家の事情を垣間見たくらいの認識で読んでいただけたら幸いです。
個人的には、改めて振り返って、文章に落とし込んだことは意味のある行為だったなと思っています。
まさに自己満足。